2014年7月11日金曜日

とうとう訓練が始まりました。

ずーっとかけていなかったのですが、再開しました。

昨日からとうとう二本松での訓練が始まりました。

本日は入所式です。

この派遣はまだ決定ではなく、あくまでも候補生なのでこの訓練を乗り切れないと
任国にはいけません。

語学はずーっと苦手で、
勉強するにも抵抗があって、
でもこれを越えないとこの先のやりたい未来にはたどり着けないから、

今回の訓練で何が何でも取得しようと思います。

というか、きっと今回の機会でも英語が上達しないようであれば、
きっと今後上達することはないと思う!という気持ちで

2014年4月2日水曜日

合格発表

合格発表。

実はかなり前の出来事ですが今でも忘れられません。

1月6日に試験が終わり、合格発表は2月半ば。
年末で正規の仕事を退職していたので、2月はひと月コールセンターでアルバイトをしていました。

1次試験の合格の時もそうだったのですが、自分の携帯からでは上手く合格発表の番号のページが見れず・・・

2次試験の結果発表はアルバイトの昼休み中でしたが、やはり同じく上手くみれず・・・

しかし、一緒に発表待ちをしていたほかの受験者から合否の画像をもらい確認しました。

合否発表の当日は、合否のみ。

実際の派遣地域などは、翌日に郵送で届きます。
ちなみに合格者は速達で届き、不合格者には普通郵便で書類が届きます・・・

翌日の速達をうきうきしながら家で待ち・・・・

午後に届きました!

確認するとマラウイ!第一希望の要請に合格していました。

あとから他の人に話を聞くと、やはり第一希望でない人も多かったり、
人によっては、希望すら入れていない国に派遣が決まる人もいたそうです。

今思うと第一希望に合格するなんてラッキーと思うと同時に、
用意する書類の多さに震えました・・・

そして、やはり問題だった語学力・・・
英語圏でしたが、もともとTOEICの点数も低かったので、Dランクの要請を希望していたと思っていたのに、ぱっとみたらCランク・・・

事前に語学が低い人は語学の事前学習があり・・・
もちろんそれも受講対象でした。

書類については、JICAから指定があるので、指定された通りに提出すれば良いので、
次回からはその他技術補完訓練について書いていこうと思います。
ちなみに、わたしが指定されていた技術補完訓練は、

栄養士技術補完訓練
保健センター技術補完訓練
HIV/AIDS講習


上記の3つでした。

2014年4月1日火曜日

2次試験

1次試験の結果が郵送で届き、2次試験までの間に用意しなければいけない書類があったりとわりとバタバタと準備を進めました。

その中には、1次試験の書類提出の際の健康診断の結果や、自己申告で出した病気の既往歴について先方が気になったもの(?)に関しての診断書や再検査などの準備もありました。

私は、健康診断では若干貧血気味だったのと、既往歴では急性腰痛(ぎっくり腰)と食物アレルギー、慢性皮膚炎があったのでその3点についての診断書提出がありました。しかし、ここで意外に大変だったことは、既往歴の際に一度病院で診断を受けて通院していた場合は通院先の担当医に診断書をもらわなくてはいけないということでした。

そのため、準備期間が少ない中3軒の病院を休みのたびに通うといった形で、休みが少ない中以外と大変だったのを覚えています。

試験当日。

自宅から試験会場まで意外と近かったのに、人身事故でまさかの遅刻でした。
(遅刻連絡はしましたが・・・)

試験当日に行うことは、人物面接・技術面接・ブレザーのサイズ合わせ・健康に関する問診・現職参加の有無についての確認がありました。

丸一日の予定でしたが、意外と空き時間が多く、周りの人と交流したりする時間が多かったです。

面接について
・技術面接
青年海外協力隊に応募した理由
派遣国を選んだ理由
実際に海外でどんなことができそうか
帰国後の進路について
派遣国が違うところになった場合でも派遣したいか
合格した場合研修先は自己手配でもかまわないか

・人物面接
青年海外協力隊に応募した理由
帰国後の進路について
職場で上手くいかなかった時の対処法
上記の場合の結果

内容に関しては、わりと時間が経ってしまったので、抜けてるところもあるかもしれないけどこんな感じでした。
技術面接に関しては、前段階でほかの先輩方のブログなどをみると、ピリピリしている感じのイメージだったけど、実際は穏やかなムードでした。
最終的には、「職場で学んできたことはきっと現地でも役立つと思うのでがんばってください」といった声をいただきました。

問題は、人物面接。
面接の際に、自分の今思う進路を話したところ、面接官に「その進路はあまり良くないと思う。個人的意見だから面接には関係ないけど、考え直した方が良い」という意見をいただき、面接時間の1/3くらいはその意見についての話だったので、面接には関係ないとは言われたけど、「落ちたな・・・」と正直思いました笑

面接に関してはそんな感じです。

合格発表が出るまで1ヶ月以上かかりますが、その間にはこの会場で知り合った人たちと連絡を取り合ったり、もちろん合格後もいろいろなことで連絡を取り合いました。

時間があって、わりと一人でなにか作業をしている人もいましたが、今となっては自分の周りだけでなくもっともっといろんな人に声をかけてみれば良かったなと思います。

2014年3月25日火曜日

1次試験

1次試験について。

正直、私の話はあまり参考にならないかも。

試験を受けるにあたって。
説明会には計2回参加。

1回目は、大学卒業するとき。
病院で勤めたとは協力隊にと思っていたから、
どんな感じなのか、知りたいなと思いいきました。
だから、受験相談とか、
「5年後くらいに受けようと思うんですけど、
何かしておいた方がいいことありますか」みたいな質問をした気がする。

2回目は、平成25年度春募集のとき。
本当は、春に受験をしようと思っていて。

忙しいとか、理由にならないかもしれないけど、
正直寝る時間をとるのがぎりぎりってくらい忙しい時期で、
その間に受験の準備もしていたから、
締め切り日を間違えて書類を出すという。。。。

開封もされず、JICAから返ってきました。。。。

なので、実際本当に受けたのは平成25年の秋募集。

ちょうど、その時期も忙しかったけど、
ここで受けなきゃ半年以上またこのままでいなきゃいけない。という現実に
耐えられなくて。

書類の中身どうこうよりも、出さないと始まらないという気持ちだった。

宝くじも買わないと当たらないとか。そんな感じ。

だから、添削もせず、11時出勤の前に書き始めて
そのまま出した。

まあ、健診だけは受けていましたが。。。。

とりあえず今回は出すことを目標!
だったので、中身に関する対策はあまりないかも。。。

でも、なんだかんだ、そんな気持ちで出した書類だけど、
長年思い続けてきたし、書く時間は短くても思いの丈は書ききれたので、

なんだかいけるような気もして。

1次試験受かる前に退職を決めました。。。

それには、ほかの理由もありましたが。。。。。

退職を決めていたくせに、一次試験の合格はかなりうれしかった笑

2次試験は1次試験とは打って変わってかなり準備しました。
その話は次で。

2014年3月23日日曜日

青年海外協力隊を目指したきっかけ〜病院時代〜

アフリカで栄養士として働きたいと思い始めて、
周りの話をきいたり、本を読んだりして、総合的に自分なりに考えた結果、

まずは総合病院の管理栄養士として働こうと決めました。


決めるのは勝手だけど、就活はしなくてはいけないので。
しかも、総合病院で産科小児科があって、直営の病院で、未経験の新卒を雇ってくれる病院・・・。。
もうそれだけで、探すのが大変。
都内で探すなんてもう無理で。

関東でも難しいから、結局最終的には日本国内で探した。

一番上は、栃木で下は宮崎まで。
受験にいく交通費がなくてお姉ちゃんに借金したりして。

それでも最終的に卒業するまでは決まらなくて。
妥協するのは嫌だから、就活浪人しようと決めた矢先に、
5月から神奈川の大学病院での就職が決まりました。

病院では、3年9ヶ月働きました。
その間には、基本は大量調理。
その他には、調乳したり、離乳食作ったり、病棟で栄養管理計画書作って。
糖尿病教室したり、展示物作成したりと。

仕事を始めてからの3年間は、もう国際協力のこととかはほぼ何もしてなかった。
時々本を読んだりするだけ。いつかはいきたいと思いつつ、
好きな人ができて、あきらめようかなと思ったり。

だけど、大好きだった人と別れてすごく落ち込んでいた時に友人から、
「恋愛は駄目だったけど、お前には夢が残ってるじゃん。それを叶えればいいじゃん、
さっこちゃんなら叶えられるよ」っていわれた。

落ち込んでいた中で、その言葉がいちばんストンとはいってきて、
今でも印象的で忘れられない言葉。

そこからまたがんばろうと、2013年の夏から、国際保健活動を行っているNPOで
ボランティアを始めました。

ボランティアを始めてから、改めてやっぱりこの道で働きたいって実感した。

本当は専門職だから、5年間は日本で働こうと思っていたけど、
3年以上過ぎて、自分の中でも今でもいいかもしれないという思いもあって、
青年海外協力隊にチャレンジをした。

受験にあたってはまた色々思うこともあったけど、
それは受験の話で書けたら書こうかなー。

青年海外協力隊を目指したきっかけ〜大学時代〜

大学時代の話。

大学入学時の目標は、
授業においていかれないこと。
人見知りをなくすこと。

授業については、大学受験の時に唯一受けた夏の終わりの模試で、
平均偏差値が40台前半。
英語に関しては30台。。。。

ストレートで志望大学に入学するなら、勉強で入るのは無理だなーと思った笑
だから、そこから勉強をやめてAO入試の準備を始めた。
面接とか、小論文とか。
本を読んだり、文章を書くのは好きだったからあんまり苦じゃなく受験して。
これがだめだったら、ちゃんと勉強して浪人しなきゃだめなんだろうなって思ってたけど、

1個目の受験で無事に決まった。

そこから、入学まで大学からの課題がたくさん届いて、
ひたすら取り組んだけど、なんせ偏差値40台だから、
どんなにがんばってもほとんど解けなかった記憶が。。。

多分、自信をもって回答できたのは3割くらいかも。

そんなこんなで入学したから、絶対においてかれないようにしようって勉強した。

講義も教室の一番前で聞いて。
質問もして。大学が終わっても残って勉強していたり。今思うとびっくり。
(2年生くらいまでだけど・・・)



2つ目の目標。
人見知りについて。


小さい頃は、人見知りじゃなかったはずなのに、
いつものまにか初対面の人たちと話すことが、難しいと感じるようになってた。

将来国際協力の世界で働くのなら、そこをどうにかしないとどうにもならないなって思った。

そこで、ボランティアをしようと思い立った。
初対面の人と話すことになれるまでは、一人でしようと決めた。

そこで、夏から神楽坂にあったアフリカンレストランが募集していた、
アフリカンフェアのルワンダのフードブースの当日スタッフのボランティアに応募して。

思い返すと、そこで初めてアフリカを知った気がする。

それまで、地理にもうとくて。。。
正直南米?アフリカ?どっちっていうくらい。
それこそ、ルワンダという国自体も初めて知ったくらい。
ジェノサイドとかも知らなかった。

イベントを通して、アフリカの暮らしとか歴史とか文化とか、食事とかすごい面白くて。

気になり始めて。

アフリカで働いてみたいってそこから思い始めたのかも。
ただ単に国際協力って思っていたのが、アフリカで栄養士として何かしたいって。

そこから、多かれ少なかれいろんな活動を3年くらいして。
時期的には、講演会に参加するとか、イベントに行くだけとかもあったけど。

なんとか途切れずにアフリカと関わっていたいと活動してた。

長くなったから、大学時代は、そんな感じでおしまい。

2014年3月19日水曜日

青年海外協力隊を目指したきっかけ〜高校時代〜

ちゃんと文章にしたことがなかったので、きっかけについて。

中学生の頃は、協力隊に興味がある訳ではなくて。
でも、海外へは興味があった。
いろんな国へ行ってみたい、旅してみたいと思ってた。

それと平行に。
昔から家族でいっていた個人経営の居酒屋の雰囲気が好きで、
将来はこんな感じのお店を開きたいなーって思って。

将来はやりたいことを全部一緒にやるとするなら、無国籍の居酒屋にして旅に出るときは、お店のスペースをレンタルとかにすればいいのかなーとか。
漠然と思っていた。

中学の卒業式でそんなこと話してたな。

そう思いながら高校へ行って、卒業後の進路を考えた時に、
いままで思ってきた将来でいいのかなと悩み始めた。
大学もいきたいし、もっと勉強したいって思った。

そのときに手にしたのが「管理栄養士になりたい人のための本」という本。

そこでは、青年海外協力隊で栄養士として活動した人の経験談が書いてあった。
いま覚えている内容としては、現地では食べ物で健康を保つとか、具合が悪いのを食事で
どうにかするとかの知識がまだなくて。
病院で薬をもらうか、まじないで直してもらうという選択肢というか、
伝統しかないということ。
そこから、一年かけて食事でも健康を作れるということを人々に伝え、
やっと現地の人たちに何となく食事も大事かもと伝えた。
二年目には、具体的にどのようなものを食べると良いのかのさわりをつたえた。

その内容をみて、「あっこれやりたい」っておもった。
はじめて今まで自分のやりたいと思ったことが、すっとつながった気分だった。
管理栄養士として途上国に行きたい。

そこから、大学も決めた。

それが、協力隊を目指したきっかけ。

そこから大学に入っていろいろあるけど、ここまでで長くなってしまったから、
次ので書こう。