2014年3月25日火曜日

1次試験

1次試験について。

正直、私の話はあまり参考にならないかも。

試験を受けるにあたって。
説明会には計2回参加。

1回目は、大学卒業するとき。
病院で勤めたとは協力隊にと思っていたから、
どんな感じなのか、知りたいなと思いいきました。
だから、受験相談とか、
「5年後くらいに受けようと思うんですけど、
何かしておいた方がいいことありますか」みたいな質問をした気がする。

2回目は、平成25年度春募集のとき。
本当は、春に受験をしようと思っていて。

忙しいとか、理由にならないかもしれないけど、
正直寝る時間をとるのがぎりぎりってくらい忙しい時期で、
その間に受験の準備もしていたから、
締め切り日を間違えて書類を出すという。。。。

開封もされず、JICAから返ってきました。。。。

なので、実際本当に受けたのは平成25年の秋募集。

ちょうど、その時期も忙しかったけど、
ここで受けなきゃ半年以上またこのままでいなきゃいけない。という現実に
耐えられなくて。

書類の中身どうこうよりも、出さないと始まらないという気持ちだった。

宝くじも買わないと当たらないとか。そんな感じ。

だから、添削もせず、11時出勤の前に書き始めて
そのまま出した。

まあ、健診だけは受けていましたが。。。。

とりあえず今回は出すことを目標!
だったので、中身に関する対策はあまりないかも。。。

でも、なんだかんだ、そんな気持ちで出した書類だけど、
長年思い続けてきたし、書く時間は短くても思いの丈は書ききれたので、

なんだかいけるような気もして。

1次試験受かる前に退職を決めました。。。

それには、ほかの理由もありましたが。。。。。

退職を決めていたくせに、一次試験の合格はかなりうれしかった笑

2次試験は1次試験とは打って変わってかなり準備しました。
その話は次で。

2014年3月23日日曜日

青年海外協力隊を目指したきっかけ〜病院時代〜

アフリカで栄養士として働きたいと思い始めて、
周りの話をきいたり、本を読んだりして、総合的に自分なりに考えた結果、

まずは総合病院の管理栄養士として働こうと決めました。


決めるのは勝手だけど、就活はしなくてはいけないので。
しかも、総合病院で産科小児科があって、直営の病院で、未経験の新卒を雇ってくれる病院・・・。。
もうそれだけで、探すのが大変。
都内で探すなんてもう無理で。

関東でも難しいから、結局最終的には日本国内で探した。

一番上は、栃木で下は宮崎まで。
受験にいく交通費がなくてお姉ちゃんに借金したりして。

それでも最終的に卒業するまでは決まらなくて。
妥協するのは嫌だから、就活浪人しようと決めた矢先に、
5月から神奈川の大学病院での就職が決まりました。

病院では、3年9ヶ月働きました。
その間には、基本は大量調理。
その他には、調乳したり、離乳食作ったり、病棟で栄養管理計画書作って。
糖尿病教室したり、展示物作成したりと。

仕事を始めてからの3年間は、もう国際協力のこととかはほぼ何もしてなかった。
時々本を読んだりするだけ。いつかはいきたいと思いつつ、
好きな人ができて、あきらめようかなと思ったり。

だけど、大好きだった人と別れてすごく落ち込んでいた時に友人から、
「恋愛は駄目だったけど、お前には夢が残ってるじゃん。それを叶えればいいじゃん、
さっこちゃんなら叶えられるよ」っていわれた。

落ち込んでいた中で、その言葉がいちばんストンとはいってきて、
今でも印象的で忘れられない言葉。

そこからまたがんばろうと、2013年の夏から、国際保健活動を行っているNPOで
ボランティアを始めました。

ボランティアを始めてから、改めてやっぱりこの道で働きたいって実感した。

本当は専門職だから、5年間は日本で働こうと思っていたけど、
3年以上過ぎて、自分の中でも今でもいいかもしれないという思いもあって、
青年海外協力隊にチャレンジをした。

受験にあたってはまた色々思うこともあったけど、
それは受験の話で書けたら書こうかなー。

青年海外協力隊を目指したきっかけ〜大学時代〜

大学時代の話。

大学入学時の目標は、
授業においていかれないこと。
人見知りをなくすこと。

授業については、大学受験の時に唯一受けた夏の終わりの模試で、
平均偏差値が40台前半。
英語に関しては30台。。。。

ストレートで志望大学に入学するなら、勉強で入るのは無理だなーと思った笑
だから、そこから勉強をやめてAO入試の準備を始めた。
面接とか、小論文とか。
本を読んだり、文章を書くのは好きだったからあんまり苦じゃなく受験して。
これがだめだったら、ちゃんと勉強して浪人しなきゃだめなんだろうなって思ってたけど、

1個目の受験で無事に決まった。

そこから、入学まで大学からの課題がたくさん届いて、
ひたすら取り組んだけど、なんせ偏差値40台だから、
どんなにがんばってもほとんど解けなかった記憶が。。。

多分、自信をもって回答できたのは3割くらいかも。

そんなこんなで入学したから、絶対においてかれないようにしようって勉強した。

講義も教室の一番前で聞いて。
質問もして。大学が終わっても残って勉強していたり。今思うとびっくり。
(2年生くらいまでだけど・・・)



2つ目の目標。
人見知りについて。


小さい頃は、人見知りじゃなかったはずなのに、
いつものまにか初対面の人たちと話すことが、難しいと感じるようになってた。

将来国際協力の世界で働くのなら、そこをどうにかしないとどうにもならないなって思った。

そこで、ボランティアをしようと思い立った。
初対面の人と話すことになれるまでは、一人でしようと決めた。

そこで、夏から神楽坂にあったアフリカンレストランが募集していた、
アフリカンフェアのルワンダのフードブースの当日スタッフのボランティアに応募して。

思い返すと、そこで初めてアフリカを知った気がする。

それまで、地理にもうとくて。。。
正直南米?アフリカ?どっちっていうくらい。
それこそ、ルワンダという国自体も初めて知ったくらい。
ジェノサイドとかも知らなかった。

イベントを通して、アフリカの暮らしとか歴史とか文化とか、食事とかすごい面白くて。

気になり始めて。

アフリカで働いてみたいってそこから思い始めたのかも。
ただ単に国際協力って思っていたのが、アフリカで栄養士として何かしたいって。

そこから、多かれ少なかれいろんな活動を3年くらいして。
時期的には、講演会に参加するとか、イベントに行くだけとかもあったけど。

なんとか途切れずにアフリカと関わっていたいと活動してた。

長くなったから、大学時代は、そんな感じでおしまい。

2014年3月19日水曜日

青年海外協力隊を目指したきっかけ〜高校時代〜

ちゃんと文章にしたことがなかったので、きっかけについて。

中学生の頃は、協力隊に興味がある訳ではなくて。
でも、海外へは興味があった。
いろんな国へ行ってみたい、旅してみたいと思ってた。

それと平行に。
昔から家族でいっていた個人経営の居酒屋の雰囲気が好きで、
将来はこんな感じのお店を開きたいなーって思って。

将来はやりたいことを全部一緒にやるとするなら、無国籍の居酒屋にして旅に出るときは、お店のスペースをレンタルとかにすればいいのかなーとか。
漠然と思っていた。

中学の卒業式でそんなこと話してたな。

そう思いながら高校へ行って、卒業後の進路を考えた時に、
いままで思ってきた将来でいいのかなと悩み始めた。
大学もいきたいし、もっと勉強したいって思った。

そのときに手にしたのが「管理栄養士になりたい人のための本」という本。

そこでは、青年海外協力隊で栄養士として活動した人の経験談が書いてあった。
いま覚えている内容としては、現地では食べ物で健康を保つとか、具合が悪いのを食事で
どうにかするとかの知識がまだなくて。
病院で薬をもらうか、まじないで直してもらうという選択肢というか、
伝統しかないということ。
そこから、一年かけて食事でも健康を作れるということを人々に伝え、
やっと現地の人たちに何となく食事も大事かもと伝えた。
二年目には、具体的にどのようなものを食べると良いのかのさわりをつたえた。

その内容をみて、「あっこれやりたい」っておもった。
はじめて今まで自分のやりたいと思ったことが、すっとつながった気分だった。
管理栄養士として途上国に行きたい。

そこから、大学も決めた。

それが、協力隊を目指したきっかけ。

そこから大学に入っていろいろあるけど、ここまでで長くなってしまったから、
次ので書こう。



2014年3月16日日曜日

はじめまして

自己紹介

大学卒業後、大学病院にて3年半ほど勤務してから念願の青年海外協力隊受験。
2014年10月からマラウイのカスングという町の病院で働きます!

受験時期から書こうと思っていましたが、間に合わず・・・

受かってから書こうと思っていましたが、早一ヶ月。。。
もういつ書いても同じだと思い、重い腰を上げました。

自分の記録でもあるし、後からの受験生にも役立てば良いなと思います。
実際私も受験時にかなりOB/OGの方々のブログを参考にしました。

がんばってかえってくるまで目標一ヶ月に一回は最低でも更新したいです!笑


2014年3月16日